ネット時代の情報は善意の参加者がそれぞれ「確からしい」と信じる情報を提出して、やはり善意の閲覧者が検証するのが最も良い。つまり提出者は情報の信頼性を保証しなくてもよい所にネットが衆知の形成に向いてい点だと思いまする。 https://t.co/QZCf8iIOw3— James F. (@gamayauber01) 2016年9月9日
歴史知らんから、登場人物の名も、わからんからメモ
ハーレー
キーン先生
考えてみれば、これは、昔から大学のなかでは行われていたことで、ハーレーはオックスフォードからケンブリッジまでニュートンに会いに行って意見を聴いたし、キーン先生は鼻持ちならないUK人達の態度を我慢してラッセル卿と毎日ありとあらゆる話題について話しあうという知的な至福の時間を持った— James F. (@gamayauber01) 2016年9月9日
ライプニッツと長いあいだ抗争になった解析第一発見者論争の経緯を見ても、ハーレーがニュートンを訪問しなければプリンキピアはニュートンの机の引き出しに入ったまま人目につかずにゴミとなる可能性すらあった。— James F. (@gamayauber01) 2016年9月10日
ニュートンの一生を見ると、本当は宇宙人だったのではないか、と思うほど変わっている
ようわからんので、メモ。アルキメデスは当然として。
ニュートンの方は、ないを言ってるか、わからん。
マルクスやエンゲルスが繰り返し述べたように個人は時代性の表出で、ゲーデルが頓死しても第二ゲーデルが生まれただろうが、アルキメデスとニュートンだけは、どうにもこの理屈が適用できない。現に泥酔したローマ兵のせいで人間の叡知は1800年も停滞していた。— James F. (@gamayauber01) 2016年9月10日
あれは、どういうことだろう?
高校で時代性の表出としての人間と人間個人に内在する固有の天才の関係を議論したときもアルキメデスとニュートンだけは誰にもどうしても説明できなかった。ニュートンに至ってはバローに会う以前は「秀才だった」という証言すらない。ところが科学そのものを創造したのは、この「凡庸な」若者だった— James F. (@gamayauber01) 2016年9月10日
それでも仮に時代を変革する天才も時代性の表出であるとするとネットを跳躍台にして衆知によって代替することは出来る。気が付くと思うが実はこれはソクラテスが主張したことそのもので、現実に西洋文明は「衆知は個人の知を凌駕する」という前提によってデザインされている。— James F. (@gamayauber01) 2016年9月10日
mokuji
あ